うつ病を克服するサイトシャリル

私もうつ病でしたが克服して元気になりました

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うつ病を克服した方法

当サイトの筆者ヤーマと申します。このサイトをご覧いただいているということは、あなたは今とても元気がないのですね。

本当につらかったですね。
あなたはこれまで、とてもよく頑張ってきましたね。

ウツを克服し、元気を取り戻した人間です

わたしも約11年間ウツ病に苦しんでいました。一番ひどい時期は5年ほど続いたと思います。あの暗黒時代は本当に絶望しか感じられず、いま思い出すだけでも自分が可哀想になります。

ですが、

現在はウツを克服し、
元気を取り戻しています。

さらには自分で会社を起業するまでになり、以前の自分とは想像つかないほど安定した精神状態になりました。

わたしは、あなたにも元気になってほしいと思い、このサイトで記事を書くことにしました。

大丈夫です。
あなたは元気になれます。仕事も恋愛もイキイキと頑張れるようになります。

わたしの経験と知識をあなたにもご紹介します。この方法は男女問わず効果がありますし、いますぐできる方法です。ただし長い時間をかけないとなかなか改善しません。

ゆっくりでいいんです。

諦めずに、わたしを信じて実行してください。つらい人は相談にも乗ります。どうぞよろしくお願いします。

ウツを克服し、元気を取り戻した人間です

簡単にですが、わたしがどんなうつ病人生を送ってきたのかをざっくりご紹介します。

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学生からうつだった

わたしは高校生のころからうつでした。クラスの友達と話しても楽しくありませんでしたし、毎日暗いことを考えていました。暗いことしか思いつかないのが当然だと思っていました。

つまらないことで笑っているクラスメイトを見て、

自分とはちがう人種なんだ

と感じていました。友人もいませんでしたし、いつもクラスでポツンとしていました。

自分とはちがう人種だ

さいわい、いじめを受けたことはなかったのですが、友達がいないので修学旅行も参加しませんでした。不参加者はわたしひとりだけでした。わたしは誰と一緒にいても気が合わず、盛りあがる集団が苦手だったのです。

そんなわたしをクラスメイトたちは、

・変な奴
・よくわからない奴

といった目で見ていたと思います。

うつの自覚がなかった

わたしが学生のころは、うつ病という言葉がまだ世間に浸透していませんでした。そのため私自身、自分が心の病にかかっているという自覚すらありませんでした。

ただ毎日が暗い気持ちだったのを覚えています。

うつの自覚がなかった

当然、家族もわたしが心の病にかかっているなんて想像もしていないので、誰も優しい言葉で手を差し伸べてくれませんでした。

めそめそしていると「弱い奴だ」「気持ちの問題だ」などと言われて、誰も理解してくれませんでした。

そんな気持ちのまま高校を卒業し、大学に進学しました。ですが大学でも同じように友人はできませんでしたし、とくに楽しいこともない毎日を過ごしました。

ただひたすら出席日数を稼ぐことだけを考え、毎日を生きるのに精一杯でした。

波乱の社会の始まり

大学生のとき、初めてバイトを経験しました。ですが、わたしは本当に仕事ができない人間でした。

消えてしまいたい

一生懸命やっているのだけれど、いつも上司に注意されました。

周囲からも、

・仕事ができない奴
・弱音ばかり吐くダメな奴

と白い目で見られていました。

しかも、能力が足らず、バイトをクビになったことがあります。

バイトですらクビになるなんて、自分はよほどダメな人間なのだと強く自覚しました。

そんなわたしですので、社会人になったあとは、本格的に社会の波にもまれることになったのです。

よりによってブラック企業に就職

初めて正社員として入った会社は、いわゆるブラック企業でした。わたしは就職活動も下手くそだったので、会社を見抜く力がなく、気付いたらそういう会社に入っていたのですね。

ブラック企業

仕事は店舗運営でしたが、会社の寮に強制的に入れられました。仕事内容も体力仕事でしたが残業時間が大量にあり、1日4時間の睡眠しかとれませんでした。休日も返上して仕事をしました。休みたくても寮に上司がやってきて呼び出されたのです。

ブラック企業の社員寮なんて、
本当に監獄ですよ。

これで月給は全額で13万くらいだったと思います。この金額は寮の代金を差し引かれているとのことでした。休日返上したことや、残業代は出ないのかと聞いたら、

「だって自分の意思で出社したんでしょ」

と言われました。休日に上司に呼び出されて出て行った仕事は、わたしが自主的に出社したことになっていました。初めて入った会社がこんな対応なので、わたしはどうすればいいのかわかりませんでした。

誰かに相談したくても寮に入っていたし、社員は全員洗脳教育されていたので誰にも泣き言を言えませんでした。

途方もない激務を繰り返し、結局わたしは体調を崩したことで退職せざるを得ませんでした。

転々とする日々

ろくなスキルもないまま、
わたしは無職となりました。

再就職するにもスキルがないため正社員がどこも採用されませんでした。

仕方がないので最初は派遣社員として働きました。派遣は企業がある程度仕事をあっせんしてくれるので、正社員よりもすぐに仕事にありつけたのです。

派遣をやりながら正社員への就職先を探しました。わたしにも意地があったのですね。絶対に正社員になってやる!という思いで一生懸命転職活動をしたのです。

生活も貧乏でしたが一人暮らしをしながら、誰にも頼らず頑張りました。そして頑張って頑張って頑張って頑張ってようやく正社員として入社しましたが、もうそのころには気力が尽きてしまって、まともに働けなかったのです。

せっかく入った会社なのに、仕事を覚える気力がわかないのです。人間関係も明るくふるまうのがつらかったのです。飲み会に誘ってくれる同僚もいましたが、もうそんな気分にならず、休日は身体を休めることで精一杯で、家から一歩も出られませんでした。

ブラック企業

結局、わたしは人づきあいが上手にできなくなり、体調もおかしいまま回復せず、ふたたび退職しました。それから派遣や正社員を交互に就職して、合計5回も職を転々としました。

我ながらよくそこまでやったと思いますが、あのころは私なりに、懸命に頑張った結果だったのです。

そして最後には自信もなくし、
誰にも頼れず家から出られなくなり、
引きこもりとなりました。

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恋愛もうまくいってなかった

実は、わたしは学生時代にとても好きな人がいて、たった3か月だけお付き合いした人がいました。ですが突然あっさりと振られてしまい、かなり引きずりました。

もちろん相手は私のことなどすっかり忘れていますし、気にも留めていなかったと思います。ですが、わたしはその人に強く執着して、

10年くらい好きな気持ちが消えなかったのです。

当時は何度も会おうとしたり、未練タラタラの行動ばかりとっていたと思います。

いまは好きだという感情はなくなりましたが、たまに思い出すことはあります。

恋愛もうまくいってなかった

突然こんな話をするとキモいと思われるかもしれませんが、いま考えれば、こうして過去に執着してしまうのも、わたしの心がシッカリと地についていなかったことが原因かと思います。

心が鎮魂していないというか、どこか浮ついているからこそ、うつ病にもなるし、つまらない恋愛に執着してしまったのだと、いまは考えています。

理解者は誰もいないと思った

わたしはとても不器用でした。恋も仕事も遠回りで、人間関係もうまくいかず、信頼できる人がいませんでした。まさに路頭に迷ったのです。

理解者は誰もいない

わたしはネットのコミュニティや掲示板に頼ったり、精神科をはしごしました。

精神科医はみんな淡々と話を聞くだけでした。親身に聞いてくれない医者はたくさんいました。話をすることすらバカらしいと思ったこともあります。

精神科なんて意味がないと思いましたが、薬がほしかったので処方箋をもらうために通いました。その薬すら、次第にどんなに飲んでも効果を感じられなくなりました。

死ぬしかないと思いました。

家族にも理解されず、

・だらしない
・情けない
・お前のような奴はうちの子じゃない

などと言われて、毎日泣いていたことをいまでも鮮明に覚えています。

さらに、我が家の場合はすこしDVもありましたので、実家に助けを求めることができず、心身ともにボロボロでした。

家庭内の言葉はすごく強い

ところで、家族からの言葉は、
ものすごーく強いものだって知っていますか?

家庭内の言葉はすごく強い

自覚していない人が多いですが、親や兄弟、夫婦の言葉というのは本当に強くて、影響力があるんです。ちいさいころから言われ続ければなおさらです。

無意識に、まるで呼吸のようにモラハラやDVをやってる親がいますが本当に改めてください。

とくにうつ病患者は、家族の言葉が原因であることも多いため、注意が必要なのです。

家族がそんな状態ですので、わたしは誰も頼ることができず、絶望しか感じられませんでした。いつも自宅のベランダから下の道路を眺めていました。

いまここに落ちたら楽になるだろうか?

と、じーっと道路を見つめる日々が続きました。ですが命を絶つことはなく、なんとか生きてきました。

引きこもり脱出

わたしは20代前半の、本来なら一番楽しい時期に、仕事をせず引きこもりとして過ごしました。安いアパートで貯金を切り崩して一人暮らしをしました。誰にも接触しないで、毎日99円のカップラーメンや、安いレトルト食品でやりくりしました。

自分の未来は絶望しか感じられませんでした。

大量の睡眠薬を買ってきたことがあります。(あとから調べてみたら睡眠薬くらいでは死なないそうですが、死にたい人はそこまで思考がまわらないので…)それで死ぬつもりもありました。

でも。やっぱり幸せになりたい気持ちがあったのですね。

このまま死んでしまったら、あまりに自分が可哀想ではないか?

毎日睡眠薬と、うつ病の薬、そしてベランダの下を眺めながら、毎日自分の心と向き合いました。

引きこもり脱出

結局、わたしは生きる道を選びました。

カウンセリングを重点的にまわりました。精神科医や、心理カウンセラー、慈善団体、うつ病団体など、専門家をたくさんまわり、納得できるだけ多くの人と話をしました。

なかでもスピリチュアルカウンセラーの沢村さんという方との出会いは重要でした。沢村さんは精神世界のお話をされる方で、沢村さんと話をしていると、不思議と不安な気持ちが消えていくのがわかりました。

沢村さんにアドバイスをいただきながら、私は自分らしい、正しい生き方を身に着けていきました。自分の性格、考え方、そして行動の修正をおこないました。そして自信を取り戻しました。

具体的にどのように自信を取り戻したのかは、このサイトの記事を読んで、あなたも実行していただければわかると思います。

遠回りだけど成功をつかんだ

そして現在は、精神科やクスリ、コミュニティや、無責任な他人に頼ることなく、精神的に安定した生活を送っています。

さらには、自分で会社を起業するまでになりました。ごくちいさな零細企業ですが、食べていくことはできています。また、わたしを支援してくれたり励ましてくれる人々にも恵まれました。

でも誤解しないでください。
わたしは何も特別なことはしてないし、必死になって仕事のスキルを上げたわけではありません。

私はもとは不器用な人間です。だからあなたに対して、

ようするに気合だ!
スキルを身につけろ!
金を払えばいい!

なんてことは絶対言わないし、仕事の具体的なノウハウを伝授するつもりもありません。

ではわたしがやったことは何か?

心を修正しただけです

わたしはただ、心のあり方をすこし修正して、

自分に自信をつけただけです。

自分に自信をつける努力

わたしは数多くの失敗を体験して、うつの特徴をよく知り、うつを克服するための考え方、自分に何が必要なのかを学んだのです。

そしてなにより、

心の話をすることが大切なのです。

このサイトには、わたしの経験や知恵、知り得た事実のすべてが詰まっています。

そしてあなたも、確実にうつ病が克服できる内容が書いてあります。

早い人なら、いまこうして文章を読んでいるなかにも、すこしだけ希望を感じてもらえた人もいると思います。

あなたも元気になれます。
大丈夫です。

だからどうか、自分を捨てないでください。

まずはあなたが、
よくなろうとする気持ちが大切です。

一緒に幸せを目指しましょう。

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わたしもうつ病でしたが克服しました筆者:ヤーマ
わたしも長年うつ病でしたが克服できた人間です。わたしの体験をお話しします。
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